これで終わり

忘れたくないことを書きます。それでも忘れてしまいます。

映画『刀剣乱舞』感想 ~三日月宗近について

映画『刀剣乱舞』を観てきました。
2度鑑賞したところで、映画の三日月宗近について思ったことをまとめておきます。
三日月さんもうしんどい。

だんだん語彙が消失しそうになるのを堪えて書きました。

※ネタばれしています※

 

また、現時点ではパンフレットなど関連書籍は一切読んでいないので
自己解釈を好き勝手に書いております。


まず初見では人外の美しさに目を奪われました。
そして所作が美しい。

本能寺で信長公と対面したときに襖を占めるシーンなど、その優美さに卒倒しそうになります。

ただ何を考えているかはわからない。
多くを語らず、微笑みや時折見せる神妙な表情からも何を考えているのか読み取ることはできません。

クライマックスまで見て、あの時はこんなことを考えていたのかもと思うとつらい。

最初の、審神者から出陣を頼まれる場面。
あの時点で三日月さんは審神者の代替わりが近いことを知っていたのですよね。

本能寺から帰ってきた三日月さんと審神者歴史修正主義者の介入が頻繁なのも、
それを知られているからでは?という危惧を共有している。

審神者と三日月さんは互いを信頼しているけれど、三日月さんは代替わりの事実を他の刀剣に話せない。

それだけで見ていてしんどいのですが、さらに審神者も知らなかった本当の歴史を三日月さんは知っていた。
信長公が本能寺から生き延びるという歴史を、誰にも打ち明けることができなかった。

 

思えば、本能寺で三日月さんは信長公に「貴方様は、なすべきことを」と言うだけだったのですよね。

自害せよと直接言うのも憚られるのであの言い回しになったのかと思っていたのですが。
三日月さんはあの時、信長公は生き延びるかもと思っていたのではないかと。

本能寺で信長公が死んで、誰もが知る正しい歴史になっても史実上は問題ない。
だから任務には応じて本能寺から歴史修正主義者を退けたけれど、もしかしたら公が生きる可能性も考えていたようにも見えました。
ただ、この解釈だと公が逃げたときの対策を三日月さんは考えていなかったのか?となるのですが。

 

信長生存を知った審神者から「もっと慎重になるべきだった」と謝られたときの三日月さん様子から、もうだいぶ余裕のない状態だと知れます。

 

鶯丸さんからそのことに関して「お前のせいじゃない」と言われ、三日月さんは「俺なのだ」と返しています。

この「俺なのだ」の言葉にとても深みを感じまして…

 

秘密を抱えて、それを話せる相手はいない。
それでも自分ですべてを解決しようとする姿は格好良いです。
誰にも言えないことを孤独とも感じていないと思いますが、見ているこちらは本当につらい。


三日月さんが折れた花を掲げ、「歴史を守るとは、ことほど左様に難しい」と呟くシーン。
もっと前後に色々言っていたと思っていたのですが、2回目見てとてもシンプルな場面であったことに驚きました。
短いですが、とても印象的な場面です。

小さな花はたやすく踏み荒らされる、それは人の命も同じこと。

歴史とは人。儚いが故に愛おしく、守りたい。そう言った三日月さんの慈しみの表情やばいです。
また、「守りたいものが増えていくばかり」と骨喰くんの方を見て言っていましたね。
あれは一番に歴史を守りたいけれど、仲間のことも守りたいのだろうな・・・と思って。

一人で何とかしようとして、安土城から仲間を逃がす場面なんかは、
みんなが逃げ切ったのを見届けて安堵した顔をするんですよ…

仲間のことも大切なんだよね、でもそんな三日月さんは誰が守るの、誰が助けてくれ…
と思っていたら助けに来てくれたよ仲間が!(長谷部が!)

あのシーンは本当に熱い、滾る。
山姥切さんが三日月さんに「もっと話せ」って言ってくれたときは泣いた。
映画の山姥切さんは無口だったし、仲間をどう思っているのかよくわからなかったのですが、このシーンで仲間への思いやりを感じました。


そして本丸に三日月さんも一緒に帰城。
三日月さん審神者に「戻った」と伝えるところ、ここも泣いてしまうのですが。
これまでほとんど表情が見えなかった審神者が微笑むシーンが映ります。

三日月さんは安土城に赴くとき、審神者とはこれが最期かもしれないと思いながら出立したように見えました。
「今生の別れのようだな」と誤魔化していましたが、その可能性も十分あったわけで。
覚悟があっても、やはり最期の最期に会えるのと会えないのでは違うと思うのです。

三日月さんのただいまに、審神者は笑って頷く。そして待っていたように消えてゆく。
ああ、審神者も三日月さんを待っていたのだと。三日月さんと審神者の関係が尊い
三日月さん、本当にただいまが直接言えて良かった。

審神者の代替わりがすみ、幼い審神者が本丸の主となります。
他の刀剣が審神者と遊ぶ中、三日月さんは一人お茶をすする。
この場面は先代の審神者と深く関わっていた三日月さんの心の整理が追い付いていない様子が伺えます。
でも幼審神者の方から三日月さんに近づいて来ました。
三日月さんの背中に幼審神者がぽすっとくっついた瞬間、
ああ、これで過去と未来が繋がったんだな~と思ったのです。

先代の審神者も「過去だけが歴史ではない。明日という歴史も守ってほしい」と言っていました。
三日月さんにとって、これまで歴史とは過去から現在までだった。
でも幼審神者との出会いで、幼審神者が築くであろう未来を思った。
そして「守りたいものがまた増えてしまった」のだと。

背負う歴史の重みは増したけれど、三日月さんはもう一人で抱え込んだりはしない。
過去、現在、未来と受け継がれていく歴史を、これからは仲間と守っていく。

映画 三日月宗近 尊。

 

まだまだ見足りないので、時間が作れる限りは見に行く所存です。
今回は三日月さん中心に書きましたが、見どころがあり過ぎて…特に後半。

 

次はパンフレットを読んでから見に行きたい。